どの世代が悪いのか

中学生・高校生だった頃、自由を求める子達がよく言っていた。
『校則なんかなくせばいいのに』『校則なんかない方がみんなちゃんとする』
『校則があるから破ろうとして一生懸命になるんだ』
実を言えば、私も何度かそう思ったことがある。
だが、自分の中のどこかで、いやそれは違う、と思ってもいた。
他者が教師に対して『せんせー、校則なくしてぇー、絶対に校則がない方が自分で考えるようになるしいいって〜、
一度やってみようや〜』などと働きかけるのを見て一生懸命考えたものだ。
子供であっても、多すぎる規則に縛られるのはよくない。
人間の思考能力を奪う結果になり兼ねない。
だが、それならば自分は何故校則撤廃に反発するのか。
考えて考えて考えて、答えが出た。
校則を撤廃すれば、自分の学年や1〜2年後まではもしかすると人として責任ある行動を取るかもしれない。
それは何故かというと、自由というものを自力で勝ち取ることの大変さや自由の重さを
身を以って体験する若しくは目の当たりにすることになるから。
だが、それ以降の学年、即ち最初から自由が与えられており自由であることが当たり前
である学年は自由を軽視し、自由の尊さを知りもしなければ理解する術もなくなるため
収集がつかなくなるだろう。
だから、自分は規則を外すことに対して理屈抜きで危機感を感じていたのだ。
大人になっていろいろ経験を積んでから考えると当たり前のことなのだが、
子供だった私にとってはその結論に到達するまでに膨大な時間をかけて考えた。
そして、その時に達した結論は今も変わっていない。

テレビのニュースでアナウンサーが言う。
『近頃、自転車に乗る人のマナーが低下しています。
自転車に乗る人はマナーを守るようにして戴きたいものですね』
違う違う、間違っている。
自転車に乗る人が限定的にマナーが悪いわけではない。
自転車に乗っていてマナーが悪い人、ルールを守らない人は、
車に乗っていても歩いていてもマナーの欠片も持ち合わせずルールも守らない。
自転車を夜間無灯火でイヤホンを耳に突っ込み携帯を片手に蛇行運転するような人は、
車で狭い生活道路を時速50kmですっ飛ばして無意味にクラクションを鳴らし、
歩行中は歩行中で周りを確認せずに車が来ていても平気でのらりくらりと車道を横断し
往来のど真ん中で複数人で道を塞いで井戸端会議を開く。
要は人間の質が低下しているのだ。
あまりにも多くの人間の質が低下していることに、恥ずかしさと悲しみと哀れみと情けなさを感じる。

昨今、世の中が非常に乱れている。
親が子を殺し、子が親を殺し、人が理由もなく人を殺す。
子供をしつける義務のある親が子供に非行を唆し、
子供のお手本にならなければならない大人がルールを守らないだけでなく子供に悪を教え込む。
一体、どうなっているのだろう。
いつからこんな世の中だったのだろう。
私は戦前の時代の人々の暮らしを知らない。
人は戦争中や戦後の話はしてくれたがるが、戦前の話はしてくれない。
世界大戦の前の日本のライフスタイルがどんなものだったのか知らない。
私が日本を歴史の教科書以上のレベルで捉えるようになるのは戦後以降だ。
戦後のことは、いろんな人がいろいろ教えてくれるしメディアでも取り上げるので情報が入ってくる。
私が戦後の日本という国に持った印象は、真面目で勤勉で厳しい。
他者に対しても自分に対しても厳しく、親は子に愛情を注ぎつつ厳しくしつけて育てた、と聞く。
それが、僅か数十年でどうしてこんな妙な時代になってしまったのか。
どの時点のどの世代の何がいけなかったんだろう、と私はよく考える。
でも、きっとどの世代が悪いのだと断定することはできない。
冒頭で挙げた校則の例のような話なのだから。

非常に厳しくしつけられた子供がいる。
その子供は自分の幼少時代の厳しく恐ろしかった家庭環境を振り返って
自分の子供にはそんな想いをさせないようにと優しく接する。
子供にはきちんと自分が子供の頃どんな想いをしてきたかを伝えるので、
子供は理解し親に感謝しながら成長する。
それに子供ができたとき、自分は親の壮絶な子供時代を知っており
自分の親が自分に対して優しく接してくれたということを、
親と祖父母との関係を目で見るなり話に聞くなりして理解して感謝したため、
子供にも自分がしてもらったのと同じように優しく接する。
すると、子供は、親は優しく甘いのが当たり前、昔は親というものは厳しかったらしいが、
そんなことは自分の知ったことではない、と思う。
いわば、厳しさというものを知らない人間になる。
厳しさを知らない人間は自分勝手に振舞う。
危険予測ができないから。
自分勝手に振舞う人間は周りを見ないため、人を尊重することもできない。
自分勝手に振舞う人間によって尊重されなかった人は、気分を害したり混乱したり。
時には自己防衛に走ることもあるだろう。
それが過剰防衛に繋がることもあるのではないだろうか。
その悪循環が急速に進んで進んで、今の混沌とした世の中になっているのではないか。
そう考えると、どの世代が悪いなどと決めつけることはできない。
ほんの些細な「私が子供の頃はこんなことは許されなかったけれど、これくらいなら許容範囲だろう」という
ちょっとした寛容さがどんどんエスカレートして、現代の利己的で危機管理能力のない人間が
作り出されたのだと思われる。

世の中のことを考え始めると、自分の中では理解できているのだが、うまく説明することができない。
表現力がないのか。
世の中がややこしすぎるのか。
こういうことをきちんと言葉にして表現できる人はすごいと思う。






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