年賀状の必要性について

 私は年賀状の必要性をずっと昔から認めていなかった。
@年賀状を馬鹿みたいにたくさん買い込んで国の内需拡大に貢献するようなお金はない
A1年に一度しか連絡を取らず、年賀状の時期以外は忘れているような相手であれば、連絡を取る必要はない
B1年に一度でも連絡を取りたいのであれば、何も年賀状でなくてもメールでも普通の手紙でもいいはずだ
C年が明ける前から新年を祝う文面を書いて送るなどという行為はナンセンスだ。

 年末は忙しい忙しいと言いながら、日本人は皆年賀状を書く。
年賀状を書くのが面倒くさいと言いながら、何故か毎年皆年賀状を書く。
自分が楽しんで年賀状を書いているのであれば私は何も言わないが、皆文句を言いながら年賀状を作る。
面倒くさいが故に、表も裏もプリントされたダイレクトメールのような葉書がたくさん送られる。
そんな味気ない年賀状をもらって嬉しいだろうか?
私はそういう年賀状をもらっても不愉快な気持ちになるだけだ。
だが、だからといって全て手書きで書くとなると、それこそ時間がいくらあっても足りない。
そういう理由から、私は毎年年賀状を一切出さない。
私は年賀状は出さないが、思いついたときにそれなりに心を込めた手紙やメールを頻繁に知人友人に送る。
それでいいと、自分では思っている。

 今年も年末が近づいてきた。
今年も私は年賀状など書く気はさらさらなかった。
だが、今年は一人ではないため、いわゆる「常識人」の夫が年賀状がどうのこうのと言い出した。
親戚くらいには年賀状を出しておかないと親がうるさいかもしれない。
嫌々、親に「親戚に年賀状なんか書かなくていいよね?」と一応形だけメールを送ると
「書きなさい」と非常に断固とした威圧的な返事が返ってきた。
予想はしていたので、今年は諦めて年賀状を作成することにした。
私は確たる理由もなく物事を強制されるのが大嫌いであり、年賀状というものに対して非常な抵抗があるため、
両面印刷した味気ない年賀状を作成することにした。
着々と準備を進めていると母からメールが来た。
「追記:最低でも宛名は直筆で書くこと」
我が母ほど子供の考えることがわかっている人はない。
先に釘を刺されたので、やむなく必死で宛名書きをした。
何十枚も宛名を書いているといい加減嫌になり、何十枚も差出人住所や名前を書いていたら吐きそうになった。
後は、何か一言書き添えるだけ、というところで力尽きた。

 私は年賀状が大嫌いだ。
十数年ぶりに書いた年賀状だが、やはりどうしてもその意義が見出せない。
これから毎年この無意味な行為を繰り返さなければならないのかと思うとぞっとする。
皆、不思議に思わないのだろうか。
世間では「年賀状を出す」のが礼儀らしいが、この忌々しい行為の何が礼儀に適っているのかさっぱりわからない。
何とかして年賀状商戦から抜け出すための手を打たねばと密かに思っている。






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