買ってしまったデジタルカメラ

 デジタルカメラを衝動買いしてしまった。
いつかはするだろうとは思っていたが、ついにやったか、という感じだ。
生まれて初めて手にする自分用のカメラ。
使い方もさることながら、何を写せばいいのやらさっぱりわからない。
何といっても、これまでの人生の中でカメラがなくて困ったことなど一度もないのだから。

 物心ついた頃には既に、写真を撮るのも写真に写るのも嫌いだったように記憶している。
私の小さい頃の写真のほとんどが指をフルに使って顔全体を変形させたあっかんべーをしている。
成長するとともにあっかんべーはしなくなっているものの、よそ見をしたり仏頂面をしたり。
まともに笑っている写真などほんの数枚しかないのではないだろうか。
自分の姿が後世まで残るのが嫌なので、写真にはできるだけ写らないようにしている。
だからといって、写す側になるわけでもない。
写真を撮るのは苦手だ。
私にはセンスがなさすぎる。
私が撮る写真は必ずどこかがおかしい。
本人は一生懸命撮っているつもりなのだが、写したものを見ると絶対におかしいのだ。
昔はデジタルカメラなどなかった(あるいは存在していたかもしれないが我が家にはなかった)ので、
私が写真を撮るとフィルムが無駄になる上にせっかくの思い出がだいなしになると、
私はカメラには触らせてもらえなかった。
尤も、それ以前に私がカメラを触ると壊すので触らせてもらえなかったわけでもあるが。
そういうわけで、ますます写真というものと縁遠い人生を送ってきたわけだが
幸か不幸かそれで不自由したことはない。
携帯だって、せっかくカメラつきのものなのにカメラ機能などほとんど使ったことはない。
私はそういう面白味のない人間だ。

 そんな私なので、人がデジタルカメラを持っていても羨ましく思ったことは一度もない。
心の底から自分には不要で無縁のものだと思ってきたからだろう。
ただ、人が使いこなせるものを自分が使いこなせないというのがいささか不満で
何となく死ぬまでに一度くらいはデジタルカメラなるものを持ってみたいと思ってはいた。
今までに何度も突発的にデジタルカメラが欲しくなって、お店のデジカメ売り場に足を運び、
あまりの種類の多さと人ごみに圧倒されて、げんなりして何も買わずに候補さえ選べず
カタログを取る気力もなく、毎回お店を逃げ出してきていた。
パソコン関係の物を選ぶときならば、周りがどれほどうるさくてもどれだけ人が多くても
どれだけ種類が多くても集中してじっくり楽しく選定できるのだが、
デジタルカメラなど通常興味のないものは見回すだけで頭がくらくらしてくる。
今回はどうして購入することろまでこぎつけることができたかというと、
人が大部分を考えてくれたからだ。
候補をいくつか挙げてもらい、大まかな機能を教えてもらった。
彼女は非常に熱心に私のデジタルカメラを選んでくれた。
カメラといえばシャッターボタンがあることくらいしか知らない私のような人間にとっては大きな助けだった。

 カメラに関しては恐ろしく無知な私なので、まずは説明書を読むことにした。
電池を挿入することろくらいまでは調子よく読み進んだのだが、しばらくすると眠たくなった。
説明書を脇に置いて実際にいじってみることにした。
いきなり画面にいろいろなアイコンが表示されていて意味不明な上に
どこをどういじったのかわからなくなり戻し方がわからなくなり、泣きたくなった。
つくづくカメラというものは難しいと思う。
ようやく基本的な初歩の初歩の写真の撮り方はわかった。
部屋のカーテンを撮り、本棚を取り、パソコンの画面を撮り、カーペットを撮った。
そして、撮るものがなくなってしまったので初日は終了した。

 デジタルカメラを入手したからといって、突然意欲が湧いたり才能が開花するわけではないことはわかっている。
しかし、ここまで面白くない人間というのもどうかと思う。
これでは感受性というものがまるでないではないか。
せっかく素敵なデジタルカメラを買ったのに。
張り切って1Gのメモリカードまで買ったのに。
写真を撮らないのなら何のためにカメラを買ったかわからない。
と思って、ずっと頭を悩ませている。
一体何を撮ればいいのだろう。
私は何の写真が撮りたいのだろう。
カメラというものは、どこまでも難しい。
ますますカメラ嫌いにならないように、まずはしっかり使いこなせるように機能を頭に叩き込む必要がある。






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