悩みは尽きない

 今年も無事歳を重ねることができた。
今年で32歳。
すっかり大人だ。
早く歳相応にならなければならないと、今年も一人でどこか焦っている。
一人前の大人に見えるようにちゃんとしなければ。

 一つ歳を重ねたことを自分でしっかり認識するようにと
「Happy Birthday to me」と自分で紙に書いて壁に貼って、馬鹿馬鹿しくなって剥がした。
一人でもそもそご飯を食べながらとりあえず自分に言い聞かせてみる。
きっと素敵な32歳になる。
きっとたくさんいいことが起きる年になる。
言い聞かせる傍から胸が締め付けられる。
自分の言葉が空々しく響く。
小さい頃から、常に最悪の事態を想定して行動するように、と躾けられてきたためか
現実的に起こりはしないだろうがもしかしたら起こるかもしれない楽しいことを想像してみても
それに伴って起こりうる弊害も一緒に想像してしまう。
そうすると、それが本当にいいことなのだか実はそうでないのかが問われる。
それならば、私の現実では起こりそうもない楽しいことを想像してみるが、所詮まやかしだ。
例えば、宝くじで1億当たるかもしれない、と想像してみても
私は賭け事が嫌いなので宝くじは買わない。
買わないのに当たるわけがない。
ノーベル賞をとるかも、と想像してみても、私は特に何かの分野で秀でているわけではなので
当然ノーベル賞など受賞するわけがない。
スリムで美しくなって普通の女の人が着る服が着られるようになったりして、と想像してみても
私の素晴らしく立派な骨格では骨と皮だけになったとしても着られないだろう。
整形手術でもしない限り無理だ。
しかし、スケールが小さい。

 そもそも、努力もしていないのにそうそう素晴らしいことが起きるわけがない。
いや、決して努力をしていないわけではなくて、現実的に起こってもおかしくないことを
実現するために日夜努力を重ねているつもりだが、私の努力は的外れなのか悉く実を結ばない。
人生とはそんなものなのかもしれない。
せめて、もう少し能天気でお気楽に生きていれば先のことを考えずにその瞬間だけで
幸せな気持ちになれるのかもしれないが、私は常に先を読んで生きるようにと刷り込まれてきた。
その割によく間抜けなことをするのはどういうわけなのだろう。

 何とかして現状を打破しなければならないと思いつつ、
同時に現状維持でもいいのではないかとふと思うことがある。
近年の私の人生は、私の人生の中では比較的穏やかだ。
日常的に嫌なことも起きるが、たまに楽しいこともある。
笑う頻度も随分増えたし人生に疲れきって寝込む頻度も低くなった。
体は機能不全の部分もあることにはあるが健康で風邪もひかないし車にぶつかられても骨も折れない。
食べ物の好き嫌いはないし虫歯になりにくいし顎も頑丈だ。
耳とお腹は金属アレルギーだし埃アレルギーもあるが花粉症ではない。
普通に生活できる程度のお給料ももらっている。
それら全ていいことだと思えば、現状維持でも十分なのではないかと。
唯一何としても直さなければならないのは自分の性格だ。
人は時として私の性格を「真っ直ぐで純粋だ」と褒めてくれるが、それは違う。
私の性格も根性も人一倍捻じ曲がって捻じ曲がりすぎていて
それが人には逆に真っ直ぐに見えるのかもしれない。
欺瞞だ。
自分のこの嫌な性格を直さない限り、素敵なことは起きないのではないかと思う。
性格を矯正するためには一体どうしたらいいのだろう。
だらしない32歳だ。






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