『かわいー』

 生い立ちのせいもあってか、私は言葉の使い方には比較的うるさい方だと思う。
それ故に、人の不用意な発言にいちいち引っかかりを感じることが多い。
中でも聞くに堪えない表現がいくつかある。
その中の一つが『かわいー』というもので、女の子がよく口にしている。
何を見ても、まずは無節操に『きゃー。かわいー』。
どこをどう見ればかわいいと思えるのか不思議なものでも、無差別に『え〜、かわいー』。
視覚がどうにかなってしまっているのではないかと疑うこともしばしば。
思わず『どこが?』と聞いてしまうが、明確な答えが返ってきたことはない。
『なんかかわいー』、『かわいーものはかわいー』と、まったく要領を得ない。
何がかわいいのか理解ができず、いらいらさせられる。
彼女達が「かわいー」以外の表現を用いることはほとんどない。
何もかも「かわいー」という言葉で括ってしまうからだ。

 私だって、物を見てかわいいと感じることもあるし、そう表現することもある。
犬や猫などの動物を見れば無垢でかわいらしいと思うし、人間の子供を見ても時として無邪気で愛らしいと思うことがある。
かすみ草を見れば可憐でかわいいと思うし、綺麗にデコレートされたケーキを見てかわいらしいと思うこともあれば
一風変わった形状のクッキーに対してへんてこで親しみを覚えるときなど『かわいい』と表現することもある。
しかし、いくら何でもりんごを見て「かわいい」とは思わない。
綺麗な色だ、とか、形が整っている、とか、おいしそうだ、などと思うことはあるかもしれないが、かわいいとは思えない。
女の子達はそういう手合いの物を前にさらっと『かわいー』と表現してしまえるのだ。
いや、りんごに限っていえば普通のりんごを「かわいー」と表現する人は少ないかもしれないが、
例えばそれが姫りんごだったら?
普段から見境なく「かわいー」を連呼している人であれば十中八九『かわいー』と叫ぶと思われる。
しかし、私にはきっと理解できない。

 語彙が不足しているのだと、言語能力の低下だと、以前私は一人で情けなく思っていた。
母国語すらまともに操れないとは言語道断だ、日本人も地に落ちたものだ、と。
しかし、あるとき私は思った。
確かに現代人は言葉を知らない。
語彙自体も不足しているし、言葉の正しい使い方も知らない人が多い。
尊敬語と謙譲語の使い分けができない人の方が圧倒的に多いし、正しく文章を構成することもできない人がたくさんいる。
テレビなどでも間違った使い方をするために間違った言葉が正しいものと勘違いされていることもよくある。
普段から言葉や文法等に人一倍注意している私でさえ、マスコミに騙されそうになることもあるくらいなのだから
何も考えずに生きている人であれば自分が間違っていることにも気づかないまま誤った知識を撒き散らすのだろうと思う。
だが、この「かわいー」という一見意味がありそうでその実まったく意味のない表現についてのみ考えると、
日本人の言語能力の低下ということだけで片付けるわけにはいかないような気がするのだ。
なぜなら、男はあまり使わないからだ。
かわいーかわいーと騒ぎ立てるのは女だ。
一応、現代では男女とも同等の教育を受けて育ってきているはずなので
女だけ語彙力が低下しているとは考えにくい。
ならば、あの、女の子がこぞって使いたがる「かわいー」という耳障りな表現には一体何があるのだろう。
そういう女の子達をずっと観察してきた。
何百万回もそういう表現を見聞きしているうちに、ふと思い当たった。
『えー、かわいー』という表現は「何を見てもかわいいと思う自分はかわいい」を意味しているのではないか。
その証拠に『かわいー』と言うときは大きな声で言う。
これは恐らく「何を見てもかわいいと思うかわいい私を見て」とアピールしているに違いない。
そう考えると彼女達の言動がすべて繋がる。
彼女達の「かわいー」という言葉は大抵同じようなトーンで発せられる。
うるさいだけで言葉が上滑りをしているだけに聞こえる。
それもそのはず、本当はかわいかろうが美しかろうが変わっていようが面白かろうが関係ないのだ。
要は自分がかわいいことをアピールできればそれでいいのだろう。
だから「かわいー」と言葉を発するときはできるだけかわいらしく聞こえるように媚びるような甘ったるい声を出し、
人から注目してもらえるように大きな声で叫ぶのだろう。
道理で私の『どこをどう見たらかわいいの?何がかわいいの?』という問いに対して説明できないわけだ。
実際かわいいかかわいくないかということはどうでもいいのだ。
しかし、そこまでして自分をかわいく見せたいものなのだろうか。

 以上のことに気が付いたからといって、日々聞かされる『かわいー』という表現に嫌気がささなくなった
ということでもない。
耳障りなことに何ら変わりはない。
せめて私よりずっと下の年齢層の女の子の間でだけ使っていてくれたら、まだ慰めにもなるが、
実際にかわいーかわいーと馬鹿の一つ覚えのように騒ぐのは私と同年代の女の子達なのだ。
私はそれがひどく恥ずかしい。
ただ、同じ「かわいい」でも、表情や言い方で、単なる自己アピールのためだけに騒いでいる人と、
本当にかわいいと思っている人とを見分けられるようになったような気がする。
心からそれを「かわいい」と思って『かわいい』と言う人の言葉は耳障りではないのだ。
私にできることは、人々が心の声を正しく聞き分けてくれるよう祈ることくらいだ。






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