お祭りと浴衣
今年も夏がやってきた。
今年はまだ梅雨が明けない。
梅雨も明けきらないうちに、今年も花火大会の時期になってしまった。
そして、花火大会には私の嫌いな見苦しい化け物のような浴衣姿の人々がつきものだ。
遠く離れた場所でお祭でも花火大会でもしてくれれば、少なくとも私の目に触れることはないのに、
よりによって、私の近くや通勤路において有名なお祭や花火大会などが催されるのだ。
そんな偶然の嫌がらせのような事柄に対して、私には我が身を呪う以外一体何ができるだろう。
そうして今年も私の嫌いな浴衣姿の汚らしい人々を目にする羽目に陥り、
今年も私は吐きそうになった。
去年と同様に、というより去年よりもひどく汚らしい。
これだけ人が集まってきているというのに、その中にまともな着こなしの人がいない。
どういうことだ、と思う。
目につくのは関取か花魁ばかり。
腐るほどの浴衣で埋め尽くされている道なのに、涼しげな人がまったく私の目に映らない。
私が無意識に汚い物に目を向けているのかと思い、改めてまともな人を探してもやはりいない。
浴衣で道端に足を開いて座り込んだり浴衣で煙草をふかしたり、手入れをしていない枯れた植込みのような頭に
けばけばしく派手なお化粧。
私は気が狂いそうになる。
私は基本的に自分が間違っていると思わない限り、自分の言いたいことを言いたいときに言いたい放題言う性質だ。
だから『今年も汚らしい浴衣人を大量に見た』と言った。
汚らしい浴衣人とは?と問われ、私は思っている通りに答えた。
着こなしがだらしなく、がに股の大股で肩をいからせて歩き、道端に座り込み、煙草を吸い、ぼさぼさの茶髪に派手なお化粧、
携帯を耳に当ててぎゃははははと笑う。
ついでに、近年は何故か浴衣に紫や黒の足袋を履く者もいる。
胸元や襟足を開けすぎてふらふらと歩いている姿はまるでその辺で男を引っ掛けている売春婦のようだ。
彼女達は一体何を勘違いしているのだろう。
私はそれらを汚らしいと表現するのだ、と。
すると、その説明を聞いている間はけらけら笑っている人でも、私が説明を終えて
『でも、最近そんな人ばっかりだと思いませんか?本当におぞましい』と吐き捨てるように言うと、
途端に黙ったり目を逸らしたりする人が多い。
しつこく『そう思いませんか』と尋ねると曖昧に首を捻ったり適当に流そうとしたりする。
それを見る度に私は不思議に思う。
貴方の真意はどこにあるの?
貴方もそういう格好をしている、若しくはしたいのですか?
貴方は私が汚らしいと思っている格好を好ましいと思っているのですか?
本当は見苦しいと思っていても悪者になりたくないから同意しないだけですか?
私は無言で咎められなければならないほど言ってはいけないことを口にしているのですか?
貴方が本当はどう思っているかを教えてください。
女の人の反応を正確に見極めるのは難しい。
私としては、反論の余地があるのであれば是非反論してもらいたい。
私が気付いていなくて他の人が気付いているいい点があるならば是非教えてもらいたい。
私だって毎年毎年得体の知れない気味の悪い生き物の群れを見て不愉快な気持ちになりたくはないのだから。
人のことをとやかく言う私だが、私も実は浴衣を持っている。
数年前にあるお店で見て一目惚れして買ってしまったものだ。
そんじょそこらの浴衣とは風格が違う、と自分では思っている。
ただの馬鹿かもしれないが、しかし、本当に美しい。
深い深い濃い紫混じりの濃紺に薄紫と白のグラデーションの大きな矢がすりがいくつか散りばめられている。
とても深くて上品で落ち着いていて静かで、ぴんと張り詰めた雰囲気を持つ浴衣だと思う。
それ故に、着るときは相当の気合が必要だ。
生半可な気持ちで着ると、せっかくの美しい浴衣が台なしになる。
数えるほどしか着たことがないが、着るときは隙がないようにきちんと着る。
帯を巻くときが最もくたびれるが、そこで気を抜くとすぐに形が崩れてしまうので気合を入れ直す。
きちんと着こなすことが私の浴衣を作った人に対する礼儀だと思う。
私のような人間は現代に生きていてはまずいのだろうか。
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