最愛の犬

 ころが死んだ。
後1ヶ月ほどで18歳になるところだった。
私が中学に入って間もないある日、クラスの男子が仔犬を1匹教室の机の上に乗せて皆でつついて苛めていた。
犬は怯えてぶるぶる震えており、あまりにもかわいそうだったので
私はその犬を男子の前からかっさらい、学校が終わるまで部室に置いておき、そのまま家に連れて帰った。
犬を飼いたいという私に対して親は猛反対したが、私は譲らなかった。
職員室から出てきたから頭がいいのだ、などと苦し紛れの大嘘をついて他にも変な理屈を並べ立て、
玄関で泣いて喚いて大暴れし、私が全面的に面倒をみることを条件に、飼うことを許された。
彼女はころころと丸く、ちょっと押すところんとひっくり返った。
表情豊かでころころと走り寄ってきて私にぶつかり、尻尾をちぎれんばかりに振る、
とても愛らしい仔犬だった。
母はころころとしていることから犬を勝手に「コロ」と名づけた。
毎年狂犬病の注射と登録をしに行ったが、ある年、たまたま登録をしなければならない期間中に
家族でたった一人手の空いていた兄が登録しに行き「コロ」ではなく「ころ」と登録してきた。
それ以来、彼女の名前は「ころ」になった。
私は毎朝5時に起き、ころと一緒に1時間ほど散歩に行った。
学校から帰ると、私の帰りを待ち構えていたころと一緒にまた散歩に行った。
大学に入ってからはクラブの都合で朝の散歩は4時になった。
朝早いにも関わらず、毎日毎日私が起きるのを待ち構えているころと散歩に行った。
晩も、帰りがどんなに遅くなっても私の帰りを待ち構えているころと散歩に行った。
会社に入ってからは帰りが遅くなりすぎるので朝の散歩だけになったが、
それでも毎朝4時の1時間の散歩は欠かさなかった。
雨の日も台風の日も雪の日も、彼女にせがまれるままにロープに繋ぎ、私達は毎朝毎晩ひたすら走った。
私の筋トレに付き合わせて私のペースで走らせても一緒に合わせて走ってくれた。
彼女は本当にいい番犬で、家族以外の人間には絶対になつかなかった。
知らない人が家に近づくと力の限り吠えた。
知人が来たときも吠えたが、私が叱ると渋々吠えるのをやめた。
それでも人に触られている間は緊張して耳を寝かせて半分牙を剥き、絶対に心を許さなかった。
外部の人間が帰るまでずっと落ち着きなく外を歩き回っていた。
彼女は家族全員になついていたが、その中でも私には特になついていた。
私が外から帰って門の前に立つと、彼女はいつも耳をぴんと立ててお行儀よく座って尻尾を振って待っていた。
私が門の中に入ると嬉し鳴きをしながらくるくる回って尻尾がちぎれるくらい振ってとびつこうとした。
嬉しいときは全身で尻尾を振りながらにこにこ笑い、悲しいときはしゅんとして全身で悲しみを表現した。
お座り、待て、お手、の他に私は「止まれ」を徹底して教えた。
散歩中に信号待ちをしなければならないとき、必ず止まらせて座らせた。
彼女はすぐに止まれを覚え、止まると私が何も言わないうちに座るようになった。
いつも穏やかで優しく、我が家に猫が住むことになったときも猫にちょっかいを出すようなこともしなかった。
私がころ可愛さの余り、思い切り抱き締めても耳や頭にかじりついてもキャンともワンとも怒らなかった。
困ったように半笑いで尻尾をぱたぱたと振るだけだった。
私の最愛の自慢の犬だった。
彼女が1歳半くらいになったある日、珍しく父が散歩に連れて行ってくれたが、
ロープを外したらしく、逃げ出した。
私は半狂乱になって彼女を探しに出かけ、近所の放し飼いのやくざな白い雄犬と一緒にいるところを発見した。
白い犬は半分野良犬化しており、体の左半分に日本列島型の傷痕があったため、
私はその白い犬を「日本列島」と呼んでいた。
私の姿を見て狂喜して寄ってきたころを連れて帰ったが、彼女はお腹の中に子供を宿していた。
時が経って生まれてきた子供は、雪のように真っ白な、それはそれはかわいい女の子だった。
母犬がまだ子供だったせいか、仔犬は1匹しか生まれてこず、少し未熟児のようだった。
ころは母乳をやるのを嫌がり、子供の面倒をみるのを嫌がった。
放っておくと子供を踏みつけて逃げ回るので、私は叱りながら母乳を飲ませた。
親は仔犬がある程度大きくなったら里子に出すと言ったが私は頑として譲らず、うちには犬が2匹になった。
母は仔犬に勝手に「るる」と名づけた。
るるは真っ白な柔らかい毛並みに赤い鼻を持つ、スピッツのような犬に育った。
彼女はアレルギー持ちで、よく鼻を掻きむしってかさぶただらけになって痛々しかった。
それでもるるは11歳まで生きた。
るるが死んだ日、私は一晩中泣き通した。
るるが11歳で死ぬと、ころは急に年老いた。
食欲もなくなり、元気がなくなった。
13歳だったのでもう寿命かと思われたが、もしかして寂しさのあまり元気がないのでは、と
父がよそから仔犬をもらい受けることを提案し、仔犬を1匹もらってきた。
ころは途端に元気になり、仔犬と一緒に飛び跳ね始めた。
母は仔犬に勝手に「ちゃぼ」と名づけた。
ころとちゃぼはそれからずっと一緒だった。
ちゃぼはころを敬っているようで、餌を取られそうになるとき以外は唸ったりしなかった。
ころはちゃぼをかわいがっていたのか、少々尻尾を踏みつけられようが体の上に乗られようが怒らなかった。
ころは、私と同じく婦人系の病気になった。
あるときから急に元気がなくなり、私達はさすがにもう寿命かもしれないと思った。
それでも、何かの病気かもしれないと、瀕死の状態で病院に連れて行くと、卵巣に腫瘍ができていると言われた。
かなり進行しており、相当痛いはずなのによく我慢していたね、我慢強い犬だ、とお医者さんに褒められた。
彼女は手術をして卵巣も子宮も取り除いた。
それからは前にも増して元気になった。
しかし、16歳くらいになると足腰が弱くなりあまり走れなくなった。
散歩もゆっくりしか歩けないので、もうやめておこうか、と言うと、彼女は鳴いて散歩に行きたがった。
歩き方があまりにも痛々しいので、無理やりちゃぼだけ散歩に連れて行くと、
ころはいつまでもいつまでも遠吠えをして悲しんだ。
散歩から帰ると、すっかり拗ねて犬小屋から出てこなかった。
かわいそうなので抱っこして散歩に連れ出すとちゃぼと一緒に歩きたがった。
彼女は小さい頃からとても利口だった。
まるで私の気持ちを理解しているかのように、その時々に合わせた態度を取った。
親に怒られたとき、兄と喧嘩したとき、学校や会社で嫌なことがあったとき、
私は外に出て、ころに後ろから抱き付いてその日あった嫌なことを涙ながらに訴えた。
犬は座ったまま同じ姿勢でじっとしていることが苦手なはずなのだが、
彼女は私が話をしている間、何時間でも同じ姿勢で同じ場所にじっと座って私の話を聞いてくれた。
私が嬉しいときは一緒に尻尾を振ってくれ、私が悲しいときは一緒に下を向いてくれた。
本当に心が優しく、頭のいい犬だった。
私が居心地の悪い家からずっと出ることができなかったのは彼女がいたからだ。
彼女の目の黒いうちは私も家にいようと思っていた。
彼女の面倒を最後までみようと思っていた。
彼女は甘えたいとき、上目遣いで私のことをじっと見つめた。
彼女は大きく濡れた黒い瞳を持ち、その瞳で見つめられると心がとろけそうになった。
ずっと彼女の面倒をみるつもりだった。
それなのに、私は薄情にも彼女を見捨てて家を出てしまった。
それからは母が全身全霊で本当によく彼女の面倒をみてくれた。
ここ2,3ヶ月はもうほとんど動けず、ずっと玄関の中に入れていた。
すっかりボケて、外に出しても同じ場所でじっと立ったまま動かなかったり、
水入れの中に前足を突っ込んでじっとしていたり、同じ場所でくるくる回ったりしていた。
私は心配で比較的頻繁に家に帰っていたが、私のことも誰のことも
認識しているのか認識していないのかわからない程度の反応しか示さなかった。
餌をやろうとしても餌入れを口の前で持っていてやらないと食べられないくらい弱っていた。
この1,2週間はもうあまり立つこともできなかった。
ほとんど寝たきりで、時々ごそごそと動いた。
排泄も寝たままするので、起こして体を拭いてやらなければならなかった。
それでも、彼女はやはり私の心のよりどころだった。
朝、母から連絡を受け、午後から会社を休んで家に帰った。
彼女は寝たままの姿だった。
耳も立てたまま、優しい顔で、まるで眠っているようだった。
母が朝起きて様子を見に行ったとき、ころの体が当たっていた床の面はまだ温かかったそうだ。
母が綺麗にブラッシングしてくれており、ダンボール箱の中で毛布と花に囲まれて眠っていた。
まだ起き出してもそもそ動くのではないかと思うくらいだった。
でも、彼女は冷たく、硬かった。
母と一緒に市役所へ行き、ころの登録を終了してもらってころを引き取ってもらった。
市役所で火葬してくれるとのことだった。
母が市役所に電話をし、火葬のために引き取ってくれる業者が来る時間を確認し、
私達は業者が来る時間ぎりぎりに連れて行った。
少しでも市役所の外にある寒い保管庫に置いておく時間を少なくしたかった。
保管庫には既にダンボール箱が2箱置いてあった。
お友達がいてよかったね、と言って別れを告げた。
本当に本当に親馬鹿ではなく、いい犬だった。
甘えんぼで、優しくて、お利口で、我慢強く、人の心に敏く、聞き分けがよく、
いい番犬であり、いいペットであり、いい家族であり、頭のいい、あまり手のかからない最高の犬だった。
母は、ころは大往生だと言った。
私もそう思う。
でも、犬の寿命が人間の寿命よりも短い理由がわからない。
犬の方が人間よりずっと純粋で綺麗なのに、何故私よりも後に生まれて私よりも先に死ななければならないのか。
彼女の人生は幸せだったのだろうか。
鎖に繋がれ、しつけとはいえ私に怒鳴られ、私の気分次第で散歩のコースが変わり、ついには置き去りにされ、
そんな自分勝手な飼い主のもとで、彼女は幸せだっただろうか。
ころ。ころ。ころ。ころ。ころ。
私が代わりに死ねばよかったのに。






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