教育上よろしくない物

 このクリスマス前、滅多に電話などしてこない兄が母に電話をしてきた。
要件は、母が大事に置いてある「たまごっち」を譲ってほしいというものだった。
母は一昔前に流行った「たまごっち」を流行の真っ只中に手に入れ、
ほんの数回遊んだだけで完璧に元通りにパッキングして、その後はずっとしまってあった。
何でも白いたまごっちは当時プレミアがつくとか何とかそんな理由だったと思う。
兄はそのたまごっちを無心してきた。
もちろん、兄がたまごっちに興味を持ったわけではなく(いや、別に彼が興味を持っても全然問題はないわけだが)、
兄夫婦の幼いベイビーがたまごっちを欲しがっているのだということだった。
どうやら、ベイビーに新しくできた友達がたまごっちを持っており、同じように自分も欲しがっているらしい。
だが、今はもう売っていないそうで、目に入れても痛くないほど可愛がっているベイビーのために奔走して
母が大切に置いてあるたまごっちに辿り着いたというわけだ。

 もともとプレミアがどうとかこうとかいうことにはさほど興味がなく、
更にかわいい孫のためであれば母が否と言うはずもなく、二人の間で話は決まった。
ところが、話が決まった後で父が反対し始めた。
最近の犯罪者層がどんどん若年化している。
その中でも、普通では考えられないような殺人等の犯罪を犯す若者達が生成されるのは、
幼い頃からゲーム漬けになって、現実と空想の世界の区別がつけられなくなっているからだ。
ゲームでは簡単に人を殺したり生き返らせたりリセットしたりという行為ができてしまう。
その積み重ねにより、命の重みというものがわからなくなっているのだ。
だから、幼い孫にはたまごっちはまだ早い。
簡単にキャンセルやリセットができてしまう遊び道具は与えない方がよろしい。
もっと大きくなって物の道理がわかるようになってからで十分だ。
父の小難しい話を簡単にまとめると、大体そんな内容だったと思う。
それでも、さすがにかわいい孫のことを思うと心が痛むのか、
どうしても欲しがるのであれば、絶対にキャンセルやリセットの仕方を教えないようにしなさい
などという、到底厳しい父のものとは思えない優しい言葉を付け加えていた。

 彼の言い分には確かに一理あるとは思う。
パソコンで文章を打っていても、随分楽になったものだと思う。
間違えたらBackSpaceやDeleteキーで消して書き直せばよい。
文章の構成を事前に考えておかなくても、後で読み直したときにおかしいと思えば、
簡単に文章を切り取って正しい場所に挿し込める。
後からいくらでも修正がきくのだ。
携帯電話も同じだ。
人と待ち合わせをしても、昔の人達のように場所と時間を正確に記憶する必要はない。
大体のことさえ抑えておけば、いざとなれば携帯で相手を呼び出せば済む。
本当に便利であると同時に、恐い道具であるとも思う。
人の危機管理能力と思考力がどんどん失われていく。
物事の道理がわかっているはずの大人でさえそうなのだから、
生まれたときからパソコンや携帯電話のお世話になっている今の子供の思考は一体どうなることだろうか。
考える能力は著しく退化しているに違いない。
それと同様に、非常にリアルに作られている現代のゲーム等の中で生きていれば、少なからず感化されるだろう。
私もそういう危機感は随分前から抱いていた。

 だが、いつの時代にもそういう麻薬的な効果のある遊び道具は存在するのではないだろうか。
私が小さい頃はファミコンとやらがそうだったような気がする。
兄が欲しがったことがあるが、一度も買ってもらったことはない。
その更に昔の世代の人のいわゆる「よくない遊び道具」は漫画だったのでは。
擬態語や擬声語だらけの漫画は、人のボキャブラリーを著しく低下させるものとして
その昔、大人達から嫌われていたと聞いたことがある。
そのようにして、いつの時代も教育上よろしくないものは存在するはずだ。
それを排除することは絶対にできない。
親が注意して徹底的にそのモノから遠ざけても無意味だ。
だめだといったところで、必ず外で学んでくるからだ。
結局のところ、親の教育の仕方の問題なのではないだろうか。
子供にゲームをさせるにも、やり方があるはずだ。
思考能力のない大人が子供を育てるから、更に輪をかけて思考能力のない人間に育つのだ。
それを全て教育上よろしくないモノのせいにしてしまうのは如何なものかと思うのだ。

 私自身のかわいらしいエピソードを付け加えておくと、私は小さい頃からゲームが嫌いだった。
兄がファミコンを欲しがったときも徹底的に反対したし、
ゲーム機器を使ったゲームはずっとしたことがなかった。
大学生になって生まれて初めてゲームセンターに入って、うるさくてひっくり返りそうになった。
置いてあるゲームのどれ一つとして面白そうだとは思えなかった。
そんな私が何を思ったか、大学2年生のときにキーホルダー型ミニテトリスなるものを買った。
ゲームをしたことがなかったことの反動のように、私はすっかりミニテトリスの虜になってしまった。
毎日朝も昼も晩も夜中もずっと遊んでいた。
そして、あまりにも遊びすぎて、キーホルダーは電池が切れもしないうちに壊れた。
壊れたキーホルダーを見て、私はようやく正気に戻った。
キーホルダーに囚われていたいた数ヶ月間の自分を振り返って、ゲームって怖いなぁ、と思った。

 どうでもいい話だが、自分の反省も込めて書いてみた。






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