社会人失格

 日々怒らないよう憤らないよう注意しているはずなのに、先日ついに仕事中にぶち切れてしまった。

 別の部所の人で、常日頃から怠惰な奴だ頭の悪い奴だと思っていた課長がいるのだが、
その課長に対してついにぶち切れてしまった。
こちらからの正当で重要な依頼に対して何週間も回答を寄こさず、何のアクションも起こさず、
何度確認の電話を入れても連絡が取れない。
やっと連絡が取れたと思って用件を言うと妙な言い訳をして『まだ手を付けていない』と言う。
そのまま放置しておいては自分の立場も会社としてもまずいと思い、上司に話を上げた。
そこから更に上に話が持ち上がり、私の部所の課長がその課長と電話で話をしてくれた。
そのやり取りと向こうの言い分を聞いているうちに、ついに抑えていた私の怒りが爆発してしまったというわけだ。
私は怒りの対象が目の前にいないからという情けないほどくだらない理由から、
目の前にいて相手と話をしてくれた、何も悪くない課長に向かって自分でも恐ろしくなるような暴言を吐き、
怒りをうまく表現できない苛立ちから、たまたまその場にあった机を拳でどんどん叩き、
たまたま自分が座っていた人様の椅子を力任せに元の場所に戻し、
足音も荒く事務所を飛び出してしまった。

 そのままお手洗いへ直行し、ペーパータオルを濡らしておでこと頭と首に当て、頭を冷やした。
頭に血が昇りすぎてくらくらした。
頭の一部を切ったら沸騰した血が噴き出すのではないかと思った。
噴き出すことのできない行き場のない血は脳の血管を通り抜けきれず、血管が詰まるのではないかと思った。
それくらい怒っていた。
社会人になってから随分経つが、あんな乱暴な態度を取ったのは社会人になってからは初めてだった。
社会人になり立てのまだ青かった頃、一度だけ怒った余りボールペンを力任せに折ったことくらいならあるが、
人に対して、しかも悪くない人に対して暴言を吐いたのは初めてだった。
頭を冷やし始めてしばらくは怒りが私の全てを支配していたが、時が経つにつれて自分が情けなくなってきた。
こんなことで怒って事務所を飛び出すなんて、何と大人気ない。
しかも、諸悪の根源を怒鳴りつけるならいざ知らず、そうではなかった。
私は何と失礼なことをしてしまったのだろうか。
何と失礼な人間なのだ。

 随分長い間頭を冷やし、たまたまお手洗いを訪れた別の部所の女の人の慰めと時間の経過により、
怒りは徐々に静まっていった。
髪がびしょびしょになり服までびしょびしょになった頃、ようやく私の怒りは完全におさまった。
私の乱暴な振る舞いによって迷惑を被ったであろう課長や周りに座っていた人達に申し訳ない思いでいっぱいだった。
失礼なことをしたのだから怒られて当然だと、怒られることを覚悟して事務所に戻った。
それでもどこまでも偉そうな私はずかずかと課長の前まで歩いて行き、止まった。
『先ほどは失礼しました』と頭を下げると、返ってきた言葉は『もう、大丈夫?』だった。
これっぽっちも怒られなかった。逆に、心配してもらった。
怒られなかったのはありがたかったが、それが却って心苦しかった。
本当なら『さっきのあの態度は何だ!』と怒鳴りつけられて然るべきなのに。
周りの人も私の乱暴な言動に戸惑い、不愉快な思いをしたはずなのに、
『迷惑だ』とは誰にも言われず、『怒ると体によくないよ』と言われた。
誰も怒らないのが不思議だった。
その日の終業時間後、ほんの数分残務処理で事務所に残っていると上司がうちわでぱたぱた扇ぎながら
私の向かい側辺りの通路をうろうろしながらこちらをちらちら気にしているのが目に入った。
私がまた何かしでかしたか、と思いながら恐る恐る『何か?』と尋ねると、
『いや、今日は、さ。早く帰ってね、ゆっくり休んだ方が…』と言われた。
どうやら、私のことを気遣ってくれたらしい。
上の人間に気を遣わせるとは何と情けない。
私は恥ずかしくてその日は早々に事務所を辞した。

 最近の若者は我慢が足りない、とよく言う。
私もその通りだと思う。
「若者」という言葉のボーダーラインがどこに引かれるのかはよくわからないが、
もしも、私もその「若者」の中に入れられるのであれば、
どうか私のことを「我慢の足りない若者だ」とは言わないでほしい。
私は牛のような忍耐力を以って何週間も(別件も含めると十数ヶ月も)一人の馬鹿に対して我慢してきた。
だが、それでもやはり、どのような言い訳をしても、私は社会人失格だ。






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