年輪

 今年もまたいつの間にか一つ歳をとった。
いや、いつの間にかではないかもしれない。
心待ちにしていたという方が正しいかもしれない。
私は歳を重ねることが決して嫌いではない。

 世の人は歳をとることを嫌がる傾向が強いように思う。
女の人はある一定の歳を過ぎると年齢を聞かれることを嫌がることが多い。
下手に歳を聞くと、それだけでなぜか気分を害してしまう。
別に悪気があるわけではないのに。

 人々がなぜ歳をとることを嫌うのか、私にはよくわからない。
歳を重ねるということは素敵なことだと常々思っている。
一つ歳を重ねる毎に少し成長したような気がして嬉しい。
私にとって大人になるとか成長するとかいうことは世の中を渡っていく上で非常に大切なことなのだ。
本来、大人は少々のことでは怒らない。憤慨しない。冷静な判断ができる。
私の目指す大人の姿である。
私にとって大人は一種の悟りを開いているようなイメージがある。
私の理想というべきだろうか。

 私が大人に恋焦がれる反面、人々は何故か若さを賞賛し羨む。
若いというだけで羨望の眼差しを向け褒めそやす。
私にとって若さとは無知だ。
若いということは未熟であるということと同じだ。
若いということはある意味恥ずかしい。
だから、何故人々が若さを手放したがらないのかよくわからない。
「若いから肌がきれいで羨ましい」
それが精神の成長と比較してどれほど重要なことだというのか。
「若くて体力があっていいな」
歳をとっても鍛えれば体力はついてくる。
自分の怠慢を歳のせいにしない方がいい。

 しかし、歳を重ねる度に私は身近な人と自分を比較してがっかりする。
『○○さんは私の歳の頃もっと大人だった』
『□□さんが私の歳の頃はこんなことはしなかった』
という具合にだ。
毎年人が自分の年齢だったときの言動を思い出して自分と比較しては自分の未熟さを思い知らされる。
まだまだだと思う。

 私にとって歳を重ねるということは「老い」ではなく「成長」である。






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