微笑むということ

 私は笑みを浮かべるという所作が非常に苦手である。
というべきか否か。
私が笑みを浮かべたところで、表情には出ていないらしい。
自然に微笑んでいるつもりのときは、人からは
『顔が怖い』とか『無表情』と言われる。
自分では満面の笑みを浮かべているつもりでも、
『その薄笑いは何?』とか『何で半笑いなの?』と非常に不思議そうに聞かれる。
昔から無表情とか表情に乏しいと言われることが多かったが、
ある一定の時期以降、その状態がとても顕著になった。
特に、咄嗟に相好を崩すということがどうしてもできない。
微笑んでいるつもりでも表情が硬いのが自分でもわかる。
ということは、きっと人から見たら間違いなく微笑んでいるようには見えないだろう。
大笑いをすることなら普通にできるのに。

 大人になって、一応は人の心象云々を気にするようになり、
微笑みを表情に出すということを習得しようと努力するようになった。
女の人は大抵の人が微笑むのが本当に上手だ。
表面的にではなく心から微笑んでいるように見せる術を心得ているようだ。
だから、女の人に尋ねてみた。
どうすれば、そのように綺麗に微笑むことができるのかと。
鏡を見て練習するといいよ、という答えが最も多かったので鏡に向かってにんまりしてみた。
だが、鏡を見ると無意識的に意識してしまっているのか、自分では普通に微笑んでいるつもりなのに
鏡の中の自分も普通に、そして極めて人工的に、にやにやしている。
そもそも、微笑む要素がないのに微笑むことができるわけがない。
そして、どう頑張ってもいつも同じなので埒が明かず、そのまま数年が過ぎた。

 人々の言葉から学び取ったところによると、
どうやら私の「普通の顔」は「睨んでいる」らしく
私の「自然な微笑み」は「無表情」、
私が「満面の笑みを浮かべる」と「薄笑いをしている」
という風に人様の目には映るらしい。
怒ったときの顔はどうなのだろう。鬼のように恐ろしい形相なのだろうか。
どうして自分の微笑みが人にわかってもらえないのかわからない。
こんなに一生懸命微笑んでいるのに。

 それが、ある時あるテレビ番組をみていたところ、非常に微笑ましい場面を目にした。
自然に顔がほころんだ。
ほころんだままの顔で何気なく横を向くと、その先に鏡があった。
鏡を見て驚いた。
自分では自然に微笑んでおり、表情が柔らかくなって口角が上がっている感覚もあるというのに、
鏡の中の私は、実に「無表情」だった。
なるほど、これなら人が無表情と表現するのも納得できる、と
納得している場合ではないのだが、妙に納得してしまった。

 「自然に微笑む」という表情を表面に出すことは何と難しいのだろう。
「自然な微笑み」を表に出すことができないのなら、必要に応じて作るしかないだろうと思い、
「不自然だが表情に表れる微笑み」を作ってみたりした。
これは非常に疲れる上に予め心の準備をしてからでないと実行できない。
難しいものだ。

 目は口ほどに物を言う、と言うではないか。
こうなったら私の目よ、頼むから口や表情以上に物を言ってくれ…。






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