慣習と伝統

 慣習 … その地域社会で、そのような時にはそうするものと昔から決まっている、生活上の節目としての行動様式。
 しきたり … これまでの慣例・ならわし。
 ならわし … いつもそうするきまりになっていること。しきたり。風習。習慣。

 伝統 … 前代までの当事者がしてきた事を後継者が自覚と誇りをもって受け継ぐ所のもの。

 『私は「慣習」や「しきたり」や「ならわし」というものが大嫌いだ』『私は「伝統」というものが好きだ』
私がそう言うと怪訝な顔をする人がいる。
慣習も伝統も一緒じゃないか、と言う。
全然違うのだ。上記の説明でもわかるように国語辞典にも明記されている。
慣習やしきたりは本人の納得を無視してただ受け継ぐもの、
伝統は本人が納得して誇りをもって受け継ぐもの、
と、私の中では分類されている。

 「慣習・しきたり・ならわし」を重んじる人は、それらをよく守って実行するようにと
人に無理やり強要する場合が多いように思う。
一方、「伝統」は穏やかにただ伝えられるだけのことが多い。
要するに、慣習類は強要・強制しなければ受け継がれないほど根拠のないものが多く、
伝統は無理をしなくても、知っていさえすれば自然に受け継がれていくものが多いということだろう。
そして、慣習の類を人に守らせようとする人の口からはよく
『お前のためを思って教えてやっているのだ』という内容の妙に偉そうで恩着せがましい言葉が飛び出す。
根拠を尋ねたり反論したりしようものなら『つべこべ言うな』と上から抑え込まれる。
おそらく、反論されるとそれまで自分のしてきたことを否定されているようで気分が悪いのだろうが、
「余計なことを考えるな、ただ従えばいいのだ」という考えが、私は大嫌いだ。
奴隷じゃないんだから。
大体、そこから一体何が生まれるというのか。
私にとっては、納得すること・誇りを持つこと、がとても大切だ。

 「こういう慣習があります」「ああいうことがしきたりとなっています」「これがならわしとして受け継がれています」
知識として聞くのは大歓迎。教えてもらえれば非常にありがたいと思う。
人がそれを実行しているのを見るのも抵抗はないし、当然批判する気もない。
本人が納得してやっているのであればそれでいいと思う。
だが、どうかそれを人に押し付けないでもらいたい。
必要なこと・役に立つこと・有益なこと、その他にも人の心に訴える何かがあれば、
抑えつけて無理やり強制しなくても自然に受け継がれていくだろうから。

 何の疑問も持たずに慣習に身を浸してきた従順な人々のためにも
何とかしていいように考えようとするのだが、
「慣習なんかクソ食らえ!」という結論に行き着く今日この頃。






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