セクシャルハラスメント

 セクハラ問題で職を失った知人の話を友人から聞かされた。
ここで、絶対に強く言っておかなければならないのは、
その知人というのは断じてセクハラをするような人物ではないということだ。
と、友人とも意見が完全に一致した。
元々、非常にフレンドリーで「調子はどうだ?」と肩をたたいたり
「頑張れよ」という感じで軽く背中を押してくれたりする人で、私も何度か勇気付けられたことがある。
恐らくそういう所作が仇となって、ソリの合わない人間から中傷されたのだろう。
そして、失意や落胆や職業的立場やその他諸々の理由から潔く退いたのだろう。
(もしくは、退かざるを得なかったのだろう)

 世間ではよくセクハラが問題になっているが、実際はそのうちのどれだけが
「本当のセクハラ」なのだろうか。
セクハラの基準は、被害に遭った(とされている)側が被害を受けたと感じたかどうか、
だと聞いたことがある。
本当にそれでいいのだろうか?
本当に被害受けている人ももちろんいるだろう。
これまで「本当のセクハラ」を受けてきた人にとっては有益な基準だということもわかる。
しかし、中には首を傾げたくなるものもあるのではないだろうか。
要するに、自分が嫌いな人間に触られれば肩だろうが腕だろうが頭だろうが部位に関係なく気に入らない。
だが、それはセクハラとは全く別問題だと私は思うのだ。
その個人的な感情をセクシャルハラスメントとして犯罪に結びつけるのはどうかと思う。

 セクハラに関する基準が謳われるようになって以来、淋しい思いをすることが多くなった。
学生時代は通りすがりに頭を軽くぽんぽんたたいて親愛の情を表してくれていた先輩が
社会人になってからはすれ違い様に腕がぶつかることすら極度に避けるようになった。
学生のときの癖で頭に手を置こうとして慌てて手を引っ込め、
『ああ、いかんいかん。こういうことをするとセクハラだと思われる可能性があるからな』
と言ったりするのだ。
職業柄、多少神経質になっている部分もあるのだろうが、
こちらとしては心の中にすきま風が吹くような寒々しい思いがすることがある。
友達だと思っていた青年が挨拶代わりに肩をたたこうとして手を引っ込めることもある。
あるいは、こちらが話しかける際に何気なく腕を触ったときなどに、面白がって冗談で
『わー、セクハラセクハラ』とはやしたてる馬鹿もいる。
うっとうしいことこの上ない。
君と私は友達ではなかったのか、馬鹿野郎!と言いたくなる。
私は腹が立つので『うるさい!』と怒鳴ってべたべた触って髪をぐちゃぐちゃにしたりするのだが、
冗談でもそういうことを言われると情けなくなる。
脱力する。
肩をすくめてその場を去りたい衝動に駆られる。

 とは言っても、実際にセクハラの被害に遭って苦しんできた人を知っている。
公に規制してくれれば、それほどありがたいことはないとも思う。
そして、セクハラか否かを見極めるのが非常に困難であることもわかっている。
しかし、このままではいずれ大混乱が起きるような気がする。
でも、『じゃぁ、お前はどうすればいいと思うのか』と尋ねられると簡単には答えられない。
それでも、今回のように冤罪としか思えないような話を聞くと心が痛む。
それだけではない。
こんなことを考えなければならないというだけでも情けないが、
下手をすれば明日は我が身だ。

 もしも、今後も個々人の感情に頼る以外にセクハラの判断基準が見出されないのであれば、
せめて、各人が悪意ではなくモラルと良心を大切にしてくれることを願うばかりだ。






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