変?個性的?何でもない?

 日本人とはつくづく不思議な人種だと、毎年今頃の時期になるとそう思う。
街中は、まるで申し合わせたかのごとく長袖一色に変わる。
まるで、長袖でなければならないような気分にさせられる。
そして、半袖でうろうろしている私などは行き交う人々から異端者か異星人を見るかのような好奇の目で見られるのだ。
繁華街などで時々見かける、頭や腕にマスコット人形を乗せて全身フリルだらけのショッキングピンクの衣装に身を包んだ
どう考えても脳みそが大破しているとしか思えない若者には寛容なくせに、
なぜ半袖を着ているだけの私が好奇の目で見られなければならないのだ。
何も、真冬に半袖で歩いているわけではない。
早朝や晩の気温の低い時間帯に半袖で歩いているわけではない。
日中の日差しが強く気温の高いときに半袖を着ているだけなのに。

 日本は昔の画一化社会の弊害から学んで、個性を重んじる時代になった。
先に挙げた例は最も極端な例としても、老若男女関係なく奇抜な服装を好む人が多くなったように思う。
しかし、一番根本の大切な部分で昔ながらの排他的な風習が未だ根強く残っているのだなぁ、と思わせられる。
気温が低いから長袖を着る、というのではなく、秋だから皆が着るから自分も長袖を着る、のだ。
秋なのに皆が着ているのに、長袖を着ない人は変人扱いされる。
しかし、言わせてもらえれば、暑くて汗をかきながらも秋だからという理由で長袖を着ている人の方が絶対に変だ。

 どうしても彼らの心理が理解できなかった私は、人にそのわけを尋ねたことがある。
その人は、こう教えてくれた。
『日本ではほとんどは小学校からずっと制服があって、秋は10月になったら衣替えって決まっているでしょう。
皆が同じように子供の頃からそうやって無理やり刷り込まれてきたからそれが当たり前になっていて、
それが高じて、そうでなければならない、という考えに発展しているんじゃないかな』と。

 もちろん、それが全ての根源だとは思わないが、なるほど、そう言えないこともないかもしれないと思った。
私は皆ほどは制服や規則に縛られて生きてはこなかった。
特に、最も素直に刷り込まれる年代は制服を着るチャンスがなかった。
ある程度大きくなってから突然学校の制服に縛られるようになって戸惑った。
まだ暑いのに、皆汗をかいているのに、10月になったから冬服を着なければならなかったからだ。
暑いから夏服を着せてくれ、なぜ10月になったら冬服を着なければならないのだ、と先生に食ってかかると、
校則でそう決まっているのだ、我慢しろ、と怒られた。
暑くて我慢できずに上着を脱ぐと、校則違反だと同じクラスの子に白い目で見られた。
何と理不尽な…。

 人なんて、十人十色である。
9人の人間が寒いと感じる気温でも、私にとっては寒いと感じないかもしれない。
ただそれだけのことなのに、と思う。
こんなことは個性でも何でもない。
そんなことが論点になってしまうこと自体がおかしい。

 今挙げた話で全てを決めるわけではないが、
妙で表面的な個性(と呼べるのかどうかも怪しいが)ばかりを珍重して個性を重んじる時代になったと満足するのではなく、
もっと根本的に個々人の人間性を尊重することが人間として当たり前に大切なのではないだろうか。
と思えて仕方がないのだ。






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