日本に未来はあるのか

 外に出ると、マナーの悪い幼い子供の群れが非常に目に付く。

 スーパーでは、子供達が大声を出しながら走り回って陳列されている商品にぶつかり、商品を落としていく。
 買いもしない商品を、汚い手で触っては放り投げるように元に戻す。
落とされたりよだれや何かでべとべとで汚い手で触られた商品など私は触りたくもないし、必要な物でも絶対に買いたくない。
 服飾品店では、吊るされている洋服の裏に入り込んだり売り物の洋服に絡まったりしてかくれんぼをする。
子供のかくれんぼの道具になった汚くてよれよれの洋服など試着するのも嫌だ。
 病院にお見舞いに来ている子供は音の出る靴を履いて笑い叫びながら走り回る。
たとえ面会時間内であっても、病気で入院している人間にとってはこの上ないストレスだ。
 水族館では『水槽をたたかないで!』と書かれた張り紙のすぐ隣で水槽をがんがん力いっぱい叩く。
魚が死んでしまうではないか!と、子供の頭を張り飛ばしたくなる。
 動物園では檻に向かって金切り声をあげて動物を驚かせようとする。
動物も迷惑だろうがこっちも迷惑だ。ライオンの檻の中に放り込んでやりたい衝動に駆られる。
 人が立っていると、一言もなしに人を押しのけるようにして前に割り込んでくる。
首根っこを捕まえて一から礼儀を叩き込んでやりたい。
 電車の中では靴を履いたままシートの上を歩き回ったり飛び跳ねたりする。
 美術館では大声で喋りながらばたばたと駆け回り、
 博物館では『手を触れないでください』という注意書きを無視し、立ち入り禁止のロープをくぐって展示品をべたべた触る。

 他にも数えあげればきりがない。
彼らの行儀の悪さにいちいち目くじらを立てるのは馬鹿らしいとは思いながらも毎回眉をひそめてしまう。
彼らの行動は、一昔前に『オバタリアン』という言葉で表現されたマナーの悪い中年のおばさんに通ずるものがあるように思う。

 しかし、私が自分の目と耳を疑うのは実は子供よりも親の方なのだ。
スーパーで暴れる子供達を目で追うと、その先には売り場のど真ん中で井戸端会議に興じる母親達がいる。
最も驚くべき親は、子供がはたき落とした玉子のパックを元の位置にそっと戻していた。
洋服に絡まってかくれんぼをしている子供の親は自分の洋服を選ぶのに一生懸命で子供など眼中にない。
病院で騒ぐ子供の親は子供と同じように病室で大声で会話をする。
水族館では親も一緒になって水槽をノックしたり、水槽を叩きやすいように水槽の縁に子供を抱き上げて乗せたりしている。
電車の中では親が靴を履いた子供をシートに立たせる。

 一度、洋服の裏でかくれんぼをしている子供達の母親に注意したことがある。
『お店の中でかくれんぼをさせないでください。売り物が汚れます。それに、もう少し静かにさせられませんか?』と。
母親は、私にちらっと一瞥をくれた後に『あぁ…』とだけ言って子供を自分の傍に呼んだ。
『もうすぐ終わるからもう少し待ってなさい』
ちっがーう!
そんなことを望んだのではない!
それ以来、私は親に注意をするのをやめた。

 恐ろしい世の中だと思う。
子供を産むと、他者に対する配慮や常識という感覚が麻痺するものなのだろうか、と不思議に思う。
非常識な親に育てられた子供はやはり非常識な大人になるのだろうか。
私が年老いる頃、今のマナーの悪い子供達が人の親になっているのかと思うと、心の底からぞっとする。






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